しくしくと泣く子を連れた炎天にさみしい声の河童に出会う /高原さやか「塔 」2016年11月号 しくしくと泣く子とふたりとぼとぼ歩く昼の道に、主体は途方もないさみしさを感じたのだろう。河童は想像上の生き物であるが、実は主体そのものであったのかもしれ…
涓滴のごとしといへど炎天の砂地にそそぐみづといへども /真中朋久「塔」2016年11月号 「いへど」「いへども」という二度の言いさしが印象的。たとえそれがしずくのようなものであっても、乾いた砂地を潤すものであっても、それだけではない水というものの…
草のはら深くゆかむとをさなごは靴を脱ぎをり鳥になるとて /高木佳子「銀芒」『66』 ひろいひろい草原のなかに子どもといるとき、この子、もしかしたらふっとこの中に紛れて消えてしまうんじゃないだろうかと、そんな思いになることがある。それが小さな…
コンパスの銀を立たしめ女児は円の数だけ孔を穿ちぬ(女児:おみなご)/沼尻つた子『ウォータープルーフ』 この歌にはじめて出会ったのは塔誌だっただろうか。この歌が醸しだす不思議な魅力にとりつかれたのをおぼえている。白紙にコンパスを立てていくつも…
さみしいときみは言はない誰のことも揺れるあざみとしか見てゐない/山田航『さよならバグ・チルドレン』 この一首がなぜか心に残っている。このなかには息苦しいくらいの諦念と、その一方で覚悟のようなものがただよう。それはきみのものでもあり、作中主体…
塔9月号作品一首評にとりあげていただきました。 眸のふちにひかり溜めこみ姪三歳 望むと否とにかかわらず、姉(眸:め) /中田明子「塔」2016年7月号 この一首の不思議な雰囲気は、一字分のスペースを挟んで、上句と下句の対照的な言葉遣いからきている。…
塔9月号山下選歌欄評にとりあげていただきました。 けむる春だれもが遠く つややかな檸檬の輪切りを口にふくめり /中田明子「塔」2016年7月号 春の季節感がよく表れている一首である。「誰もが遠く」という主体の把握は、輪切りの檸檬を口にふくむというさ…
塔8月号百葉集にとりあげていただきました。 画家は終わりをみていただろう絵の青の奥へ奥へと鳥のはばたく /中田明子「塔」2016年8月号 絵に描かれているのは、鳥が飛んでいる途中の空間だけである。しかし、画家の目は、鳥がどこへ飛び去っていくかを見…
塔5月号選歌後記にとりあげていただきました。 館内にあがなう葉書のその貌に絵に見たる翳写りておらず /中田明子「塔」2016年5月号) 即物的に解せば、美術館と撮影のライティングの違い、ということになる。ただ、そうではない。写真はあくまで写真であ…
教会に入ったことは三度ある 川の水位は日ごとに戻る/安田茜「weather」『かんざし』創刊号 作中主体はどんな状況下で教会に入ったのであろうか。これまでに三度だけ、ということはクリスチャンではないけれど、ということだろう。単に地元のあるいは旅先で…
おとついもきのうも雨で今日やっとカンナのそばに涙ながせり/江戸雪「塔」2016年9月号 おとついもきのうも感情を、たぶん負の感情をやりどころのないままに押し殺すようにしてやり過ごした。そうするしかなかった。雨で、とあるがそれはなにか象徴としての…
ルリユールと声に出だして言うときの湿りをはつか手渡している/永田淳『塔』2016年7月号 ルリユールとは、フランス語で「綴じ直す人」という意味である。そこにはおのずと本に対する愛しみが感じられる言葉である。そのような言葉を声に出していうときの、…
山桜の遠き乳色そこに行くことのできぬを去年も思いき(去年:こぞ)見たような、何も見なかった気もしつつ今年の桜過ぎてゆきたり/吉川宏志「塔」2016年7月号 忙しい日々のあわいに思いをはせる遠き山桜。去年も見に行きたいと思いつつ行けなかった、そし…
ゆみづのやうに言葉をつかいそれでゐて一つの花の名前がいへない/藪内亮輔「心酔していないなら海を見るな」『率』10号 人は言葉を用いてみずからの感情を伝えることができる。それでも、それにもかかわらず、言葉の力というものは有限で、その限界に直面し…
会いに行こうと思ったことはあるけれどそのたび膝に芙蓉が咲いて /佐々木朔「夏の日記」『一月一日』vol.3 会いに行こうと思わないわけではなく会いに行こうと思ったことはある。一度ならず何度も。けれどそのたびに膝に芙蓉が咲くのだという。芙蓉とはちょ…
街は今日なにをかなしむ眼球なき眼窩のやうな窓々を開き /稲葉京子『ガラスの檻』 〈われを包むガラス如き隔絶よこのさびしさに衰へゆかむ〉にみるように、この歌集には作者の生きて負う深いかなしみが一貫して流れている。それは〈まことうすき折ふしを織…
両岸をつなぎとめいる橋渡りそのどちらにも白木蓮が散る(白木蓮:はくれん) /永田紅『日輪』 これは作者が大学受験を終え浪人生活をはじめた頃の歌である。まず目をひくのは、橋とは両岸をつなぎとめているものである、という把握である。歌集には〈対岸…
門をたたけ‥‥‥しかし私ははるかなるためらいののち落葉を乱す/永田紅『日輪』 これは「骨が好き」という題の一連におかれる相聞歌である。「門を叩け、さらば開かれん」というマタイの福音書の一節を思わせるこの初句に、作者はみずからを鼓舞する。恋を一…
塔5月号の花山多佳子選歌欄評にとりあげていただきました。 一通のメイル打ちつつきざしくる遠きいたみよ夜は明けゆく/ 中田明子(塔2016年3月号掲載) 「遠きいたみ」はどのようなものだろう。 この歌からそれを読み解くことは困難だ。しかし夜明け前に打…
オフェーリアながれ、アネモネ手を離れ水辺のような部屋を歩みぬ野の花を束ねいたりし手のちからゆるみてもなお言葉はのこる/永田紅『北部キャンパスの日々』 『北部キャンパスの日々』は日付のある歌として『歌壇』に一年間連載された作品がまとめられた歌…
触れることは届くことではないのだがてのひらに蛾を移して遊ぶ/大森静佳『てのひらを燃やす』 触れること、それはすなわち届くことではない。たとえ誰かに(あるいはなにかに)触れたとしてもそのものの心に、深部に届いたことにはならない。理解したことに…
ほんとうは存在しないものとして水平線ははっきりみえる/池田行謙『たどりつけない地平線』 〈追いかけてもたどり着けない地平線きみから好きと告げられたくて〉歌集のタイトルにもなっているこの歌の地平線はきみを想う気持ちのあてどなさと重なってゆくイ…
塔4月号真中朋久選歌欄評にとりあげていただきました。 ひらくよりなければ白き昼顔は秋の日射しに傷みつつ咲く /中田明子「塔」2016年2月号 初句からの平かな表記も効き、白き昼顔の弱々しい状態が浮かぶ。そうするしかないことが人間の日常にもあると思…
生きいそぐことからすこし外れてく気がしてバスの中ほどに立つ/坂井ユリ「梢、また表情を変えない冬」『京大短歌』22号 生きいそぐ、とはかならずしもいい意味でつかわれる言葉ではないが、この上句には生きいそぐことから外れていくことへの不安感、焦燥感…
読みかけの手紙のように置いてある脱がれたままの形にシャツは/安田茜「twig 」『京大短歌』22号 場面としては夕方あるいは夜、恋人が自分の部屋にやってきて、いかにも無防備にシャツを脱ぎ捨てているのだろう。そのシャツを作者は「読みかけの手紙のよう…
ユトレヒト、ときみが言う声わが裡の焚き火の穂先すこし揺らして /大森静佳「金色の泥」『京大短歌』22号 ユトレヒト、という異国情緒あるうつくしい名詞にまず引きこまれる。ユトレヒトとは中世の街並みと運河のうつくしいオランダの都市である。ユトレヒ…
光つてゐたあれは川ではなく心だと下流の川が教へてくれる/澤村斉美『 gally(ガレー)』 光ってみえていたのは作者のいる場所よりもずっと上流のほうであろうか。そこから川はこんこんと流れてくる。そして作者の目の前の川面はもっとくすんだ色をしていた…
月明にひとが透けゆくくるしみを目守らば朝まなこ炎えなむ(朝:あした・炎:も)/水原紫苑『びあんか』 水原紫苑さんの歌は端正で格調高くときに難解だ。けれど時空をも越えてしまうようなスケールの大きい世界観がそこにはある。わからないながらも惹かれ…
春野りりんさんの第一歌集『ここからが空』、さまよえる歌人の会にてレポートさせていただきました。 ◆自然と響きあう感受力 ガウディの仰ぎし空よ骨盤に背骨つみあげわれをこしらふムスカリの新芽のひかり仙骨を大地にますぐ保ちあゆまむガジュマルの星夜の…
塔3月号小林幸子選歌欄評にとりあげていただきました。この歌は1月号の百葉集にとりあげていただいた歌でした。 眠りいるあなたの息を聞きたればふいに感じる外側ここは/中田明子「塔」2016年1月号 起きている時は同じ世界にいるのに、相手が眠ったら途端…