塔2月号より
ゆきあいの湖と呼ぶべし躍層は静かに昼を崩れつつあり
/永田淳 p6
「躍層」とは湖のある深度において、水温などが変化する層のことですが、この語彙により、湖の深さ、冷たい水の手ざわりというイメージが喚起されます。下句は作者の知的想像力によりイメージされている景であろうと思われ、躍層が静かに崩れてゆく昼の、なんともいえない物憂さのようなものが漂っています。
月がまた満ちるところへ何匹も金魚がわたしを逃げ出していく
/上澄眠 P44
童話の一場面のような、絵本の挿絵のような不思議なイメージの、けれど心惹かれる歌です。金魚がわたしを逃げ出していく、それも何匹も…という体感には、欠落感やしずかなさびしさのようなものが滲みます。
その影が扉を押して入り来る あなたは私でかつてのわたし
/徳重龍弥 P51
あなたという人のなかに自分自身を見いだし、さらに過去の自分自身を見いだして、下句のフレーズが目を引きます。その影というのは実景なのか、イメージなのか…。いずれにしても作者の、自分自身へのふかく、かすかにほの暗い思索が感じられます。
人の輪の間で目立たぬようにしてなぐさめ顔のあの子が立ってる
/乙部真実 P56
実景なのか、記憶に纏わるイメージなのか、どことなく不思議な感じがあります。「人の輪の間で」という上句には、群衆による圧力のようなものがイメージされます。そのなかでひとり目立たないよう、けれど群衆とは心的距離を置く「あの子」という存在。それは作者をなぐさめる存在なのでしょうか、あるいは「あの子」は作者そのものの姿なのかもしれません。
黒猫は夜に紛れる呼んだなら細い二本のひかりが届く
/大橋春人 p145
夜に紛れるようにして遠ざかっていく黒猫。でも声に出して呼べば猫は振り返って、そのまなざしは細い二本のひかりとなって作者のもとに届く。でもやっぱり黒猫は、振り返ってもまた遠ざかっていってしまうのだろうな…と思わせる、しずかで凛とした雰囲気が一首を包んでいます。
逃げてゆく獣の脚はさびしくて濡れた翼をたたむ鳥たち
/高松紗都子 P184
解釈をするのは難しいけれど、心惹かれる歌です。逃げてゆく獣とは、もしかしたら犬とか、わりと身近な動物なのかもしれないけれど、「獣」と表記することによって、原始的な存在としての動物を思わせます。その後ろ姿にさびしさを見いだしながら、下句へのつながりも独特です。濡れた翼をたたむことのしっとりとしたおもたさ、ともいうべき手ざわりが読後感として残ります。
向い風に漂うとんぼ大丈夫これは時間の流れではない
/拝田啓佑 P210
向かい風に吹かれて飛ぶでもなく漂うとんぼ。そこに苦しさのようなものを感受しつつ、容易くは進まない時間というものをそこに重ねてみてしまう。けれど、三句で「大丈夫」とみずからに言いきかせるようにして、これは時間の流れではないのだ、と言います。そこには逡巡することの痛みが感じられます。