欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。

塔7月号より

書を捨てねばここから出られず町へ出たいといふにはあらず /真中朋久 p4 一首のベースには「書を捨てよ、町に出よう」という寺山修司の言葉を思い浮かべます。今の自分を脱却するために、葛藤する主体。「書を捨てねば」変わることはできないということを深…

塔6月号より

何に触れても大きな音のする家に音を立てずに育つものあり /橋本恵美 p29 この家はおそらく大人ばかりの家。そこに子どものにぎやかな気配は感じられず、どこか張り詰めたような緊張感のあるしずけさとほのぐらさ。静寂であるがゆえに響いてしまう物音は、…

塔4月号より

白壁に冬の樹の影うきあがり生前の肩に手を置く前世 /山下泉 p6 〈生前〉という時間に〈前世〉という時間が手を置いている、つまり、前世はやがて生前と呼ぶべき時間となりうるものであり、ひとつながりのおおきな時間軸のなかに併存しています。上句の「う…

塔3月号より

傷つけるだけのことばが蝋燭を貫きほのおはのたうつ鳥よ冷ややかに燃やされている火を海とかんちがいして鳥が溺れる /江戸雪 p5 一首目、相手を傷つける言葉とわかっていてもその言葉しかなく、どうしようもなくその言葉を口にするのでしょう。炎をみながら…

塔2月号より

ゆきあいの湖と呼ぶべし躍層は静かに昼を崩れつつあり /永田淳 p6 「躍層」とは湖のある深度において、水温などが変化する層のことですが、この語彙により、湖の深さ、冷たい水の手ざわりというイメージが喚起されます。下句は作者の知的想像力によりイメー…

塔1月号より

音にもああ影はあるのだ拡声器の声が団地に反響している /乙部真実 p61 上句のフレーズ、これまで音にも影がある、というふうに具体的に認識をしたことがなかったけれど、言葉としてこのように定着されたことで、これまで漠然とは感じたことのあったはずの…

塔12月号より

君のなかの哀しみの量(かさ)わからない ときどき夜の床に落ちていて /前田康子 p5 近くで君を見ていても君は哀しみをさらけだしたりはしないのだけれど、不意にたとえば夜の床のようなところに、君の哀しみの欠けらだけが落ちていることに気づく作者。君の…

塔11月号より

ひとつはしらふたつはしらとかぞへつつじふさんぼんをつりおろしたり /真中朋久 p5 「はしら」とは、神や位牌、遺骨などをかぞえる単位。数字のみが具体として提示され、事実のみが描かれながら、平仮名にひらかれた文体がその行為の意味をかみしめるかのよ…

水原紫苑歌集『びあんか』より

鳥たちは遊びのやうに北を指しわれにちひさき骰子残れり (骰子:ダイス) 「遊びのやうに」といわれて際立つのは、鳥たちが北をめざすのは本能にしたがうからであって、けして遊びなどではないということ。にもかかわらず、それは遊びのようにかろやかで、…

永井陽子歌集『ふしぎな楽器』より

人去りて闇に遊ばす十指より彌勒は垂らす泥のごときを 仏像に造詣のふかい作者。彌勒といえば、貴い存在としてみることが多いけれど、作者は人のいなくなった闇のなかで十指より泥を垂らす姿を想像します。では、「泥」の意味するものとは、、、。彌勒という…

塔9月号より

根こそぎになりて倒れてゆくときにみづならの樹は川を渡りぬ /小林幸子 P5 地崩れで倒れてしまったミズナラの樹。すこやかに根をはり立っているときには、たとえ望んでもけして渡ることかなわなかった川を、根こそぎになって、もうどうしようもない姿になっ…

塔8月号より

くるしさをくるしさで堰きとめたって孔雀の首には虹色がある /大森静佳 p59 孔雀のほそくながい首、あるいはその首から搾りだされるような、あの悲しげな鳴き声のイメージと相まって、くるしさをくるしさで堰きとめるということ、その作者の苦しさを、体感…

第8回塔短歌会賞受賞作「灰色の花」より

第8回塔短歌会賞受賞作、白水ま衣さんの「灰色の花」。画家二コラ・ド・スタールを連作の主題に置き、彼の絵、そして彼の内面にまでふかく迫りながら、同時にスタールに惹かれる作者自身のなかに息づく心理、自身の哲学のようなものまでもが表現された、と…

塔7月号より

さざなみが君の水面を覆いゆく銀色の笛を深く沈めて /松村正直 p6 君が内面に深く沈めるのだという「銀の笛」が印象的。銀という色、笛という存在の硬質な感じが、そのひとの内面の、核のようなものを思わせます。そしてそれは深く沈めて、たやすく誰かに触…

塔6月号より

さようならはここにとどまるために言う ハクモクレンの立ち尽くす道 /江戸雪 P5 「さようなら」は、離れゆくひとに向かっていう言葉であると同時に、自分はここにとどまるのだということをみずからに再認識させ、覚悟させるための言葉、言葉をこのようにと…

塔5月号より

冬をしまふ器のあらば幾たびも数ふる夕べ雪となりたり /溝川清久 p17 「冬をしまふ器」とは不思議な表現です。冬の日の翳りを抱え込むような、深い器などを思い浮かべます。そんな器があるならばその器を何度も数えるのだといって、静謐な雰囲気があります…

松村正直歌集『風のおとうと』

今日は松村正直さんの第四歌集『風のおとうと』を読む会に参加します。 いま、わたしのなかにあるものをここにまとめておきます。 読む会でみなさまの読みに出会えること、そしてそれによってこの歌集への思いをさらに深められるであろうことを楽しみにして…

齋藤史歌集『ひたくれなゐ』より

ひきつづき、齋藤史歌集『ひたくれなゐ』の五首選を。 『ひたくれなゐ』は史67歳の刊行。『魚歌』より36年を経ています。 テーブルの均衡を信じ居らざればグラスの水の夜をきらめく 水がきらめくのは水がかすかに揺れたからなのでしょうか。平行なテーブ…

齋藤史歌集『魚歌』より

過日、齋藤史歌集『魚歌』を読む会をしました。 齋藤史の歌への言葉にはしづらいさまざまな思いはありつつ、 備忘録として、会のために用意した私の五首選を。 ちなみにこのときは不識書院の『齋藤史歌集』を読んでおり、そこからは随分多くの歌が抜けている…

塔12月号より

幾万のねむりは我を過ぎゆきて いま過ぎたのは白舟のよう /吉川宏志「塔」2017年12月号 すうっと誘われるように午睡していたのでしょうか。あるいは一瞬意識が遠のくほどの眠気だったのかもしれません。それを自分を過っていく白舟に喩えてとてもうつくしい…

塔11月号より

みづうみをめくりつつゆく漕ぐたびに水のなかより水あらはれて /梶原さい子「塔」2017年11月号 手漕ぎボートでゆく湖の、その水に主体のまなざしはあります。オールで漕ぐその動作はたしかに水面をめくるよう。水そのものに肉迫して描写する下句にもリアル…

塔10月号より

うたた寝のうちにひとつめもう過ぎてふたつめの湖きらきらと在る /小川ちとせ「塔」2017年10月号 ゆったりとした韻律、「ひとつめ」「ふたつめ」のリフレイン、平仮名にひらかれたやわらかい文体、それらが相まってうたた寝からさめようとするときのぼんや…

葛原妙子歌集『朱靈』

『葡萄木立』にひきつづき『朱靈』を読みました。 『朱靈』には『葡萄木立』以後七年間の、715首に及ぶ作品が収められています。 ◆見えすぎる目は遠のいて 雁を食せばかりかりと雁のこゑ毀れる雁はきこえるものを 水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾…

葛原妙子随筆集『孤宴』より

私のもっとも好ましい歌のあり方を述べるならば、私は歌うことで訴える相手をもたないということである。故に歌は帰するところ私の独語に過ぎない。ただ独語するためには精選したもっともてきとうなことばが選ばれなければならないのである。 こうして私は、…

一首鑑賞〈一尾の魚〉

水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき /葛原妙子『葡萄木立』 葛原妙子の有名なこの一首は、「たちまち水のおもて合はさりき」という新しいものの見方を提示したいわゆる発見の歌として読まれることが多いように思う。河野裕子は「言葉…

塔7月号作品2より②

喋るときひとの唇ばかり見る娘は弦のように座りて /石松佳「塔」2017年7月号 そのまなざしは、話す主体を射すくめてしまうほどまっすぐなのでしょう。「弦のように」という喩が魅力的で、繊細な感情をはりつめるようにして見つめる娘の姿が浮かんできます。…

塔7月号作品2より

何げなくドアを開けたら満開といふくらがりのさくらさくら /福田恭子「塔」2017年7月号 昼間にも気がつかぬままに、何げなくドアをあけたらくらがりのなかに桜が満開だったという、どことなく不思議でどことなく不穏な感じのする一首です。おそらく実景であ…

塔7月号月集・作品1より

つぎつぎに羽ばたくごとき音のして梅雨の駅から人は去りゆく /吉川宏志「塔」2017年7月号 梅雨の日の駅、人々が雨脚をたしかめ手元に傘をひらき駅を出てゆくほんのつかの間、雨、いやですね、とでもいうような気持ちのなかに互いに心をかすかにかよわす一瞬…

葛原妙子歌集『葡萄木立』

このところ葛原妙子歌集『葡萄木立』を読んでいました。次第に葛原妙子の世界に夢中になっていくのを感じながら読みました。(旧字は代用しています) ◆二つのものの生の相似を掴む比喩 あゆみきて戸口に鈍き海見えし猫は月光のやうにとどまる 飲食ののちに…

一首鑑賞〈アップルパイ〉

歩きつつアップルパイを食べているpost-truthの時代の中で /廣野翔一「浚渫」 一読してなにより印象的なのは、たたみかけるように重ねられる「あ」音のあかるさである。このあかるさは単純なあかるさではない。どこか作りものめいた雰囲気がある。なぜだろ…