欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。

塔3月号より

傷つけるだけのことばが蝋燭を貫きほのおはのたうつ鳥よ
冷ややかに燃やされている火を海とかんちがいして鳥が溺れる

/江戸雪 p5

一首目、相手を傷つける言葉とわかっていてもその言葉しかなく、どうしようもなくその言葉を口にするのでしょう。炎をみながらそこにのたうつ鳥をみてしまうという、心のにがさ。
二首目、火という熱いものをみつめつつ、そこに冷え冷えとしたものを感じています。冷ややかに燃やされている火はまるで海のようなほの暗さ。ここで火は海であり、前の一首のイメージをひいて炎のかたちは鳥でもあります。そして炎のゆらめきは鳥そのものでありながら、同時に海にのみこまれてゆく姿でもあります。

 

しろじろと撒かれし水は垂直にのぼりしか高き花梨の尻まで

/穂積みづほ p56

深い夜の場面を思い浮かべます。「しろじろと」「垂直に」「高き」という言葉がそれぞれに働いていて、たいらかな地面に撒かれた水が、垂直にのぼり、ずっと高い所にある花梨の実の根元までのぼっていくその光景が、まるで水の目線で描かれた童話かなにかのように目の前にひろがります。

 

短日を蜘蛛は巣がけり経(たていと)に掛くるそのたびきらめく緯(よこいと)

/篠野京 p88

寒い季節に蜘蛛が巣をはっている、というただそれだけの場面でありながら、冬の陽のもとでその蜘蛛の巣はなんともいえずきらきらしています。下句が平凡なようでいて「そのたび」あたりに、蜘蛛が時をかけて巣をはってゆく時間性も感じられ、また、経が緯にふれるたびに互いが互いに響きあうようにきらめく様子を思わせて魅力的です。

 

どの海のにおいでもいい砂抜きのあさりの水を残して眠る

/椛沢知世 p89

キッチンにあさりの砂抜きの水を残している、というささやかな行為であり、そこにあるのは砂抜きの水、ただそれだけです。作者はそこから海に思いを馳せているわけですが、言葉の斡旋のしかたのためでしょうか、読者もまた、作者とともに海を夢見るような、大きな海のひろがり、見知らぬ海のひろがりのイメージを受け取っているような気がします。

 

あらさう、と言ひかへす時水鳥のごときものわが声を過りぬ

/濱松哲朗 p89

「あらさう」という言葉は、頷きの言葉でありようでありながら、「言ひかへす」という言葉とあいまってここでは批判的なニュアンスを帯びています。また、音だけを考えてみると「あらそう」は「争う」をも想起させ、どこか不穏な響きがあります。作者は「あらさう」という言葉のもつニュアンスにとても意識的です。だからこそそうした言葉を口にするときの、ひやりとするような感覚が水鳥というイメージをひきだしてくるのでしょう。…それにしても、感情と鳥は親和性があるなあ。

 

鳥を飼い犬を飼う日々少女期は半透明の付箋のそよぎ

/高松紗都子 p93

下句をどのように読むべきか迷いますが、「半透明」という、透明でもなく、完全に色がついているのでもない微妙な色彩と、「付箋のそよぎ」というたよりげのないもののイメージが、少女期という繊細なゆらぎの季節とつりあっています。
人よりも、鳥や犬と心かよわせることの方が多い、そんな傷つきやすい少女期を想像させます。

 

バスの影去つてしまふと赤まんまにわたしの影がかぶさつてゐた

/北島邦夫 p103

なんていうことはないささやかな場面が、こんなにも平易な言葉だけを使って、こんなにも抒情性をもって表現できるものか、と思わされます。三句の字余りが韻律を緩めるとともに、たっぷりとした時間性のようなものを感じさせます。旧仮名とのバランスも魅力。

 

片腕で抱いた袋は重たくてひとつずつ林檎を捨ててゆく

/山川仁帆 p117

片腕で抱いた袋というと茶色い紙袋をイメージします。そこに無造作に、いくつも詰め込まれた林檎。中身は全部林檎、それも黄色い林檎か青林檎のような気がします。両手でもつのではなく、これなら大丈夫、というところまで数を減らすため、ひとつずつ手放してゆく。その動作はとても淡々としているように思われ、不思議なしずけさがあります。結果として象徴性も帯びています。

 

寂しさは小さな靴でやってくる少女の笑い声のようだね

/大橋春人 p120

はじめは少女の靴音をイメージし、読みすすめていくうちに、それが少女のトーンの高い笑い声となり、頭のなかに反響するような、不思議な感覚になります。「寂しさ」と「少女の笑い声」という一見対極にあるかのようなものをイコールでつないでいるところに、何とも言えない残酷性と痛々しさ、そしてふかみがあります。

 

くしゃみするまでの一瞬くちゃくちゃのダダイズムって顔をする猫

/鳥本純平 p162

内容のおもしろさはもとより、「く」の音のかさなり、ダダイズムという言葉のリズムが内容と不可分に世界観を作りだしています。「ダダイズムって顔」って…。