欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。

塔6月号より

何に触れても大きな音のする家に音を立てずに育つものあり

/橋本恵美 p29

この家はおそらく大人ばかりの家。そこに子どものにぎやかな気配は感じられず、どこか張り詰めたような緊張感のあるしずけさとほのぐらさ。静寂であるがゆえに響いてしまう物音は、実際の物音ばかりではなく、象徴的な意味あいも感じさせます。この家にはしずかに流れてゆく時間があり、音を立てずに、声には出さずにはぐくまれていく感情があります。そのひんやりとした体感。

 

かぜに消えたをみなと風にのこりたる皇帝ダーリアこの門の奥

/千村久仁子 p45

どこか幻想小説のような雰囲気。おみなを消してしまうほうの風には平仮名があてられ、表記にも工夫があります。また、「皇帝ダーリア」は花の名前ですが、「をみな」と並列に置かれることにより、擬人化的、男性的な雰囲気を醸しだしています。この場面、おそらく実景なのだと思われますが、こうして言葉に置き換えられることにより、語句の効果として、幻想的な雰囲気がもたらされ、そのさきを想像させる物語的なひろがりがうまれています。

 

いのるにもこわがるにも手を握り込むわたしたちなにも奪われないよう

/加瀬はる p66

祈ることと怖がること。そのふたつの感情的行為が同じかたちとしてあらわれることの不思議。怖がるは畏れるにもつながっていくようにも。人の動作のかたちに着眼しながら哲学的でさえあります。

 

はろほろ、ふ。はるばろろろふ。散りながら空気を磨くように桜は

/田村穂隆 p75

上句のオノマトペの独特な響き。「はろほろ」ときて「ふ」と息吐くように散り、そして「はるばろろろふ」というどこか時空のはるけさも感じさせる響きに散ってゆく姿。独特のオノマトペを用いて、桜の散る様子を音でとらえようとしています。そして一転下句では、桜というものの、ただうつくしいだけにとどまらず、痛々しく、かすかに狂気をもはらむようなその姿を、「空気を磨くように」という硬質な表現でつかまえています。

 

無意識にほほ笑んでいた筋肉をやさしくほどく真夜中の腕

/拝田啓佑 p92

知らず知らずのうちにまわりに気を遣ったり空気を読んで微笑んでいた筋肉。けれどそれは本来の心のありようとは微妙にずれていて…。それをやさしくほどいて、無理に微笑まなくていい、といってくれる存在。主体を包み込んでくれるものは、親しいひとの腕であり、それ以上に、真夜中という時間帯、それ自体の腕でもあるような、そんな雰囲気が感じられます。

 

まなぶたにそと触れてみる白猫に「あい」といふ名をつけしをとめの

/川田果弧 p115

白猫と少女とその眠りと…やわらかく、繊細なうつくしい世界。白描に「あい」という名前をつけたその少女の心、少女の心のうちに秘められた世界、それはけして大人が無遠慮にふれにいくことはできないものだけれど、その世界を思いながら、その世界の輪郭にふれるように、眠る少女のやわらかい瞼にそっと触れてみる、その行為もまた、やわらかくふっくらとして、うつくしいなあ。

 

待つことはしなくていいよ待つことは寂しいから 空を犬と見に行く

/川上まなみ p157

待つことはしなくていいと相手に告げるのは、待つことの寂しさを知っているひとだから。四句の「寂しいから/空を」という句割れは、一文字あきのあとにもう一度語調を持ち上げるように字余りの破調で「空を」と挿入されることにより、「空を」に力がこもり、覚悟のようなものが滲みます。寂しさをひとりで引きうけて立つ主体の姿がそこにあります。

 

待つことの重さ、あるいは月浴というおこないに影かさなって

/梅津かなで p167

こちらも「待つこと」。この歌では待つことの重さが、月浴という行為と重ねられています。「重さ」「かさなって」という重量のある言葉がかさねられ、また、月浴というしずけさの行為のなかで待つことの重さが感受され、心に残ります。