塔7月号作品2より②
喋るときひとの唇ばかり見る娘は弦のように座りて
/石松佳「塔」2017年7月号
そのまなざしは、話す主体を射すくめてしまうほどまっすぐなのでしょう。「弦のように」という喩が魅力的で、繊細な感情をはりつめるようにして見つめる娘の姿が浮かんできます。
わたしはワタシからだはカラダこの春の散らない桜をすこし憎みつ
/小川ちとせ「塔」2017年7月号
わたしという存在の、精神と肉体。上句の言い切るような文体は、たとえば体の不調によって心まで元気を奪われてしまうことへの抵抗のようにみえます。とらわれず潔く生きようと心に刻むそんなとき、何日もぐずぐずと散らずにいる桜はことさらに主体の目には往生際の悪いものとして映るのでしょう。
がんばってそんなに写真を撮らないで ことしの桜忘れてもいい
/小松岬「塔」2017年7月号
話し言葉が生きた一首です。実際に発語した言葉というよりも心の中の声のような気がします。そこには今日の桜を忘れてしまうかもしれない未来のことを案じることなく、今というときに心も体もゆだねる潔さがあります。
ろうそくの光は影を生むことも少年の日に気付けり今も
/大橋春人「塔」2017年7月号
それは多感な少年時代に気づいたことのひとつ、そして今、主体はあらためてろうそくの光が生む影のことを思うのでしょう。それはもしかしたらろうそくの光や影に象徴される、より大きななにかについて、であるのかもしれません。「気付けり今も」と詰め込まれたような結句に切迫したせつなさがあります。
もの割るる音してのちに上がるべき悲鳴を聞かず春のゆふぐれ
髙野岬「塔」2017年7月号
どこかでガラスのようなものの割れる音がして、当然そのあとに悲鳴が聞こえるだろうと思ったら声は聞こえてこなかった、そのことをいぶかしむとともにかすかに気味悪さを感じているのでしょう。春のゆうぐれという設定も、なにか不可思議なことが起こってもおかしくはない、そんな空気感を生みだすことに役立っています。
さびしさはマクドナルドの百円のコーヒーに買う小さな居場所
/福西直美「塔」2017年7月号
この一首、百円だからさびしいのですよね。街のどこにも自分の居場所があるようには思えずに、コーヒーを飲むという口実のもとに百円をだしてささやかな居場所を得るのです。都会的な抒情のある一首です。