塔12月号作品2より②
いつまでの暑さであらう贄のごとき影をわたしは街路へおとす
/千村久仁子「塔」2016年12月号
日射しを遮るものはなにもない日盛りの道にたったひとりで立っている。日傘をさすこともなくつよい日射しに灼かれるままに。「贄のごとき」という喩にそんな白昼に主体がつのらせているであろう孤独を思う。
雨垂れの朝に目覚めて身体よりぬけたるものの気配さびしむ
/濱松哲朗「塔」2016年12月号
昨夜、昂りを抱えたまま眠ったのに雨垂れの音を聞きつつ目覚めてみれば、時間と雨とが昂りを冷ましてしまったのだろう、自分がすこし落ち着いていることに気づく。それはちょっとさびしい。雨の朝のアンニュイな雰囲気をとらえて巧み。
驟雨とはやさしき雨とおもいたり ひとは集いてバス停に待つ
/小林貴文「塔」2016年12月号
たしかに、それが「驟雨」であったからこそ、「ひとは集いて」という感覚になるのだろう。早く早く、この屋根の下におはいりなさい、という具合に。これが降り続いている雨であったらひとは各々の傘に雨を避けながらバス停に来るのであって、バス停の雰囲気はまったくちがっているはずである。驟雨へのささやかで温かい気づきである。
柘榴の実はじける季節に(わがままは悪)妹は未熟児だった
/川上まなみ「塔」2016年12月号
妹が生まれたとき、主体はもうききわけのある年齢で、妹のことで手いっぱいの両親にわがままをいうことは悪いことなのだとみづからに言い聞かせていたのだろう。そのときのさびしさが主体のなかに痛みとして今も生き続けている。ふだんは忘れているその痛みがつんと湧いてくるのだろう、柘榴の実がはじける頃に。