欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

塔12月号より

幾万のねむりは我を過ぎゆきて いま過ぎたのは白舟のよう

吉川宏志「塔」2017年12月号 

すうっと誘われるように午睡していたのでしょうか。あるいは一瞬意識が遠のくほどの眠気だったのかもしれません。それを自分を過っていく白舟に喩えてとてもうつくしい。そして上句の幾万のねむりという表現も、みずからの過去のみならず生命の悠久の歴史にまでイメージが広がるような、そんなふくらみをもっています。

 

生活の細部が灯る 玄関に一筋のぼる蚊遣りの煙に

/永田淳「塔」2017年12月号

蚊遣りの煙がうっすらとくゆる光景は、ささやかながらそれ自体が生活というものの温もりや貴さの象徴のようです。 「灯る」のは、場面でありながらほっと心が緩む感覚を呼びおこされた主体の心情でもあるのでしょう。言葉を尽くすよりこの歌のやわらかさをそのまま受けとりたい一首です。

 

いつのまに鉄橋がほどかれてゆく雨ねむりつつ聞いてゐるあめ

/河野美砂子「塔」2017年12月号

上句は夢のなかの光景でしょうか、とても不思議で幻想的です。そしてこれは雨を形容しています。しずかでやわらかい雨を想像します。また、下句の雨とあめのリフレインがこの雨の雰囲気を醸しだします。下句を何度も唱えるうちに、ほどかれてゆく鉄橋とみずからが同化してゆくような、すべてがほどかれてゆくような、不思議な感覚へとみちびかれる一首です。 

 

消えかかる刹那の花火の白き骨また次の骨 いつかわが骨

/北神照美「塔」2017年12月号 

しろめく花火が夜空に散っていくのを花火の骨ととらえてはっとします。そしてその骨をみつめているうちに、夜空と主体の身体が一体化していくような感覚へといざなわれていき、花火の骨は、一字あけの空白ののち、わが骨となります。

花火のうつくしさ、儚さをみつめながら、本能的に命にまで思いが及んでしまったような切なさがあります。

 

絵のなかのをみなの踊りさびしさを躱しゐるやう百年ずっと

/千村久仁子「塔」2017年12月号

「さびしさを躱しゐるやう」に心を掴まれました。絵のなかの女性を詠いながら、それをじっとみつめている主体のさびしさにまで読者の思いが及ぶところにしみじみと惹かれます。

 

あのひとの失くした部分にちょうどいいオシロイバナのたねをください

/小川ちとせ「塔」2017年12月号

傷ついたひとを癒すために、自分にはなすすべのないことを知っている主体はただじっと、相手をみまもっているのでしょう。平仮名にひらかれた柔らかさのなかに、心情をそのままのせていくような口語体の文体がせつなく心に残ります。祈るようにオシロイバナの種を乞う主体は、オシロイバナの、ささやかでありながら生命力にあふれるそんな力をそのひとに注ぎ込みたいと願うのかもしれません。

 

短編をひとつ読み終え吐く息の、ここへ帰ってくるための息

/川上まなみ「塔」2017年12月号 

短編を読んでいるとき、それも夢中になって読んでいるときというのは、自分がその世界に入りこんでここではないどこかに飛んでしまう。そして一気に読み終えふーっと息をつき、はじめてわれに返る。その息を、ここに帰ってくるための息なのだと、浮遊していた自分をこの世界にとりもどすための息なのだととらえて魅力的です。

 

金魚だけが大きくなっていくような静かな夜がおりて来ている

/矢澤麻子「塔」2017年12月号

夜が深まっていくと、人の気配や物音が途絶え、反対に、部屋のなかにあるそのほかのものが存在感を増してくる、そんな感覚を金魚に焦点をあてて巧みにとらえています。

 

思ふより風はとほくへ吹き抜けて川には川の性別がある

/石松佳「塔」2017年12月号

こんな風に意識したことはなかったけれど、ああ、ほんとうにそうだなあ…。

そういえばフランス語ではそれぞれの川によって女性名詞であったり男性名詞であったりしますよね。それは大西洋に流れ込むか、地中海に流れ込むかにより区別されているようですが、ここではそういう決まりのことを言っているのではない。風の通りかたや、暮れていきかたなど、その川が醸しだす雰囲気のことをいっているのでしょう。

上の句もとてもうつくしく、まるでその川に吹く風を読者みずからの肌で感じるようなみずみずしい実感があります。

 

笑ひごゑつるぼの花をそよがせて風となく虫となく揺れてゐる

/福田恭子「塔」2017年12月号

ゆったりとした韻律、一首にかかる言葉の負荷はきわめて少なく、それがここに描きだされる情景と響きあっています。主体はその笑い声からは隔たったところにいるような気がします。どこまでもやさしい言葉が選びとられながら、一首に言いしれぬさびしさが漂っています。

 

水準器の中を気泡は昇りつつ君が説きたる文学の価値

/永山凌平「塔」2017年12月号

君が説く文学の価値を聞きながら、いま目の前にある水準器が導く平行のようにはひとつの答えが出るものではないその価値について、深く思いをいたす主体なのでしょう。君の語る内容には触れられていませんが、水準器との取り合わせの妙により、巧みにそれを描きだしてひろがりがあります。

 

繭のなかにうもれるやうな夜のことあるとしりつつ触れないでゐる

/小田桐夕「塔」2017年12月号

「うもれる」という語彙が「こもる」などとも異なるニュアンスをもち、そういう夜を過ごすひとの得もいわれぬ胸苦しさを伝えます。主体はそういう夜があることを知りつつ、あえてそのことに触れないという選択をしています。主体にとっては、触れないことが相手を尊ぶことであり、そのことによりもしかしたら主体は相手を想うがゆえの苦しさにうもれることになるのかもしれません。