欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

一首鑑賞〈一尾の魚〉

水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき

/葛原妙子『葡萄木立』

葛原妙子の有名なこの一首は、「たちまち水のおもて合はさりき」という新しいものの見方を提示したいわゆる発見の歌として読まれることが多いように思う。河野裕子は「言葉が発見する景の新鮮さという点において、事象にたいする認識の角度の位置のとりかたにおいて、葛原妙子という歌人を思うときに先ずわたしの心に浮かんでくる歌である。」と述べている。
一方、稲葉京子は、この下句を「非常に強いひびきを持っており、いくらか不気味な拒絶のおもむきもある」という。この歌のある「雲ある夕」の中には〈池の辺にコンクリートの濡れをりき黒き魚跳ねいで黒き魚死にける〉という一首があり、冒頭の歌においても、魚はふたたび水の中に戻ることはかなわなかったのではないかと思わせるものがある。
また、魚にはキリストを象徴するものとしての一面がある。たとえば第七歌集『朱霊』にも〈をさなごが魚呼ぶこゑす、キリストが魚よ、と呼びし哀泣のこゑ〉という一首があり、作者自身そのことを意識していたのではないかとも考えられる。あるいは旧約聖書のモーゼの海割りの場面を想起する人もいるかもしれない。
このようなことを思うとき、この一首には複雑な思いが流れているように思えてくる。キリスト教に深い関心を抱きながら死の間際まで信仰に服することのなかった作者の心の葛藤、心の襞がこの一首の中にも垣間みえるような気がするのである。