欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

塔7月号月集・作品1より

つぎつぎに羽ばたくごとき音のして梅雨の駅から人は去りゆく

吉川宏志「塔」2017年7月号

梅雨の日の駅、人々が雨脚をたしかめ手元に傘をひらき駅を出てゆくほんのつかの間、雨、いやですね、とでもいうような気持ちのなかに互いに心をかすかにかよわす一瞬があります。そしてそののちそれぞれの目的地に向かって人々は雨の中へと歩きだします。そのとき傘をひろげる音が鳥の羽ばたくような音に聞こえるのでしょう。この一首ではそうしてつぎつぎ出てゆく人の背をうしろから見送っているような感じがあり、かすかなさびしさが漂います。

 

ものごとをまげてのがれんとせしのちのかたむき 城がかたむく

/真中朋久「塔」2017年7月号

真中さんの歌の中でも、平仮名を多用した歌は思惟的な印象があります。この歌にもその本質を抉りだすような奥深さを思います。

 

守るとはやわらかな悪 藻川にはきのうとちがう水が流れて

/江戸雪「塔」2017年7月号 

「守る」ということはときに変化を拒むことでもあります。たとえば子どもの成長の過程で、子どもを守るためという言葉のもとに子ども自身の冒険やそこからの成長を妨げてしまうことがあります。「やわらかな悪」とはそのような思いから表出した言葉でしょうか。同じようでいて昨日とはちがう水の流れてゆく川は、主体に変化を思わせるのでしょう。川を見つめつつ、みずからに言い聞かせる姿が目に浮かびます。

 

目が覚めるそのすこしまへの記憶を汲むやうにコップを手につかみたり

/小田桐夕「塔」2017年7月号・新樹集 

目を覚ましたものの、いまだ夢とうつつのあわいにいるような感覚のなか、目が覚める前の記憶に思いを馳せているのでしょう。「記憶を汲むように」という喩には、コップを手にとるといううつつの行為をとおして自分自身をうつつに立たせ、うつつの側からひとつひとつ記憶をたぐりよせようとする感じに実感があります。二句三句の字余りにどこかまどろこしさがありますが、それが夢とうつつを行き来するときのまのあり様を思わせるようでもあります。

 

満開のみじかき春を大方のいのちはいのちとうまく避け合う

/朝井さとる「塔」2017年7月号

「大方の」という言葉のうしろに、そうではない、そうすることができない生きづらさのなかにいる主体のいたみがみえるような一首です。狂うほど桜の咲き盛る季節であればなおのこと。

 

人間も見えない花粉のようなもの飛ばして春は疲れる季節

/三浦こうこ「塔」2017年7月号

「見えない花粉のようなもの」とはひと恋しさのようなもの、さびしさのようなものといえば近いでしょうか。杉の花粉が一斉に飛ぶ映像を思うとき、春という季節のあかるさの中に潜むどうしようもない焦燥感のようなものがたちこめてきます。

 

サイレントレターくらいの気配にてあなたが打ってくれる相槌

/白水麻衣「塔」2017年7月号

表記はされても発音されることはないサイレントレター、それはあってないようなもの、けれど確実に存在するものでもあります。相手が打ってくれる相槌はそのサイレントレターくらいの気配だといいます。あるようなないような相槌でありつつ、その相槌を主体は心地よくあたたかいものとして受けとめているのでしょう。魅力的な喩です。

 

ゆっくりとスピード落としてよぎりゆく寝物語の里といふ集落

/福井まゆみ「塔」2017年7月号

寝物語に語られる集落は「里」と呼ばれて、そのノスタルジックな響きやありさまを聞きながらうっとりと感じいる主体なのでしょう。 

 

あまがさきというときの口の開き方をこの春の淡き先触れと思う

/小川和恵「塔」2017年7月号

「あまがさき」と声に出してみるとき、それがほぼあ音から成っていることに気づきます。相手がその言葉を発するときの口もとに目をとめて、あるいは自分で発語して、その甘やかなあかるさを感じているのでしょう。ひとつの言葉に春の先触れを感じるところに作者の感性があります。