欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

塔5月号月集より

子の口のなにがさびしいゾウの耳キリンの角を交互に噛んで

/澤村斉美「塔」2017年5月号

小さなわが子がぬいぐるみのゾウの耳、キリンの角を噛んでいる。おそらく母に見られているという意識はなくただその行為を繰り返している。その姿を外側から見ているときに主体のなかに兆すどうしようもないさびしさ。「子の口のなにがさびしい」と言いながらそこにあるさびしさは主体のさびしさそのものでもあるのだ。

 

西窓がひどくあかるいあるはずの飛行機雲も見分けられない

永田紅「塔」2017年5月号

実景でありながら心象のようでもある。あかるさのなかに、あかるさゆえに見失うもの、その心理的遠さ。「ひどく」には傷みの感情がうつしだされている。

 

ランドセルは煮ちゃったらだめだよ、と夢のなかわれは母に言いおり

目覚めても目覚めても風がたゆたいて照り翳りする部屋の内側

/花山周子「塔」2017年5月号

一首目、ランドセルを煮るなんて突拍子もない行為のようにも思われるが、今回の一連のなかの一首として読むとき、この一首はもっと切迫したなにかを思わせる。遠からぬ日に小学校という社会に出るわが子を待ち構える未来へのえも言われぬ不安感に、煮沸消毒のような意味においてランドセルを煮ることを深層の部分でむしろうっすらと希求していたりするのでは、などと思ったりする。

二首目、そこは自分の部屋なのだけれど、現在そして未来がぼんやりとして、それは、はてしない時間の流れのひとところにぽつんと取り残されたようなとらえどころのないさびしさ。

 

一月にとじこめられている感情、山の高さに雪は降りつつ

/山下泉「塔」2017年5月号

 「山の高さに雪は降りつつ」に窓辺に立ち山の稜線を、そしてそこに降る雪をじっとみつめているまなざしがみえてくる。その山の稜線までの距離はなにかからの遠さでもあり、どこにも逃がすことのできない感情との対比が印象的。