塔12月号作品1より
父と子を隔てる硝子のようなものわれは磨きて夏を過ごせり
/橋本恵美「塔」2016年12月号
夫であり父である人とおそらく思春期のわが子との間にある「硝子のような」距離。傍からはわからなくても妻であり母である主体には痛いほどわかる。けれど直接的にはたらきかけるのではない。祈りをこめ硝子を丁寧に磨くようにして日々をふたりの間にいるのである。親子の繊細な部分を切りとり、抒情ある一首。
傘とじて最終バスに乗りこめばすべり出すなりこの黒い船
/宮地しもん「塔」2016年12月号
深夜の最終バスはどこか不思議な雰囲気がある。ほかの乗客と運命をともにしつつどこか見知らぬ場所へ向かっていくようなほの暗さ、それは昼間には感じることのない雰囲気である。しかも雨の夜。バスはなるほど夜の海に漕ぎだす「黒い船」にみえてくる。
渡りゆく鳥にきのうがあったとも思わないただ車をとめる
/荻原伸「塔」2016年12月号
車をとめてながめずにはいられないほど、鳥のゆくその光景に心を奪われたのだろう。上句は意味をとりにくいが、感傷的になっているわけではないのだということを前置きするものだろう。そう前置きすることにより主体の感動の大きさを伝えようとするのだろう。
もう月に帰ると言へばうなづきてそんなふうなる別れがしたい
/澄田広枝「塔」2016年12月号
実際には取り乱してしまいそうになるほどのかなしみなのだろう。けれどかなしみがきわまるところでなお相手を想うからこそうまれる感情がある。やわらかい文体でつぶやくように表現しているところがいい。
残されて風となりゆく真昼間のただひろびろと初秋の駅に
/沢田麻佐子 「塔」2016年12月号
駅は初秋の昼をあたたかくのんびりとしているのに、「ただひろびろと」という四句があるためだろうか、どこかあてどないさびしさがただよう。なにから「残され」るのかはわからない。老いゆく母を想うのかもしれない。あるいはこの昼がそういう感情を呼びおこすのかもしれない。日常のあらゆるさびしさを胸に、目を閉じて風を感じている。そのひとときだけは日常から離れ、まるで風そのものになるかのように。
睡蓮の鉢に空あり雀来てくちづけし後みづは残れり
/清水弘子 「塔」2016年12月号
睡蓮の鉢の水面に雀が触れたのだろう。ただそれだけのことではあるが、結句に「みづは残れり」とあえていうことにより、水の存在感がきわだつ。まるで雀が寄ってきたのは水面に空が映っていたからだというように、水はとり残されたのだというように。