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欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

〈表情〉

一首鑑賞 坂井ユリ

降りる時うしなう表情よ そののちにバスはゆきたり風をうみつつ

/坂井ユリ「花器の欠片が散らばるごとく」『羽根と根』5号 

バスのなかで主体は誰かと話をしていたのだろうか。一首の雰囲気にはどこかさみしげな雰囲気が漂う。表情をうしなうとは意識してあるいは無意識につくっていた表情をほどくということだろう。バスを降り、表情をうしなうのは主体自身?それとも話していた相手だろうか?

「バスはゆきたり」という言いぶりは主体がバスを見送っている景を想像させる。そして相手の前で本当の自分を抑えていた息苦しさからの解放を。

だがバスを降りていったのは相手のほうであるかもしれない。自分と話していたときのたとえば楽しげな表情をすっと消してバスを降りていく相手の姿を見逃さず、主体はバスのなかからさみしく見ていたかもしれない。一字あけの時の間は、相手を見守る主体にとって、時間が長くながく感じられたことのあらわれであり、「バスはゆきたり」という言いぶりは、主体の心のありようとは別に現実の時間だけがさきに進んでいってしまう、そんな感覚かもしれない。そんなふうにも思う。

そしてバスは発車する。ふたりの距離を物理的にも心理的にも遠ざけてゆくように…。

さまざまにドラマを感じさせる一首である。

 

一連の作品のなかにはこのような歌もある。

表情をゆるめるように真顔なり別れはときに安堵でもある