欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。

塔11月号若葉集より

繰り返すことにも飽きて何らかのリボンを結えない長さに裁った

/多田なの「塔」2016年11月号

よくも悪くも繰り返しにあふれる日常へのささやかな抵抗として、ふたたび結うことのかなわぬ長さにリボンを裁つという行為。どうにもならないことへの苛立ちと痛み。

 

前輪のなき自転車の棄てられておしろいばながめぐりに咲きぬ

/川田果弧「塔」2016年11月号

前輪を失ってもう走ることのできない自転車、それを弔うようにまわりにはおしろいばなが咲き乱れている。日常のかたすみにうちすてられてゆくものへのまなざしとともに、一首のなかにはおおらかな時間の経過が読みこまれている。

 

開け放つ窓の向こうにさあさあと雨のおと聞く 土曜のひるね

/紫野春「塔」2016年11月号

つよくもよわくもない初夏の雨。「開け放つ」は季節をまるごと受けとめようとするかのようであり、その雨音に耳を傾けながら目を閉じれば雨の匂いまでしてくるようである。また「さあさあと雨」のあ音のかさなりが明るく、「おと」「ひるね」と平仮名にひらかれていることで全体にやわらかい雰囲気がただよう。アンニュイで、それでいてこころやすらぐ土曜のひるね。

 

朝光にひとり、ふたりと子供らをスクールバスは遠くへ連れ去り

河野純子「塔」2016年11月号 

スクールバスに乗せてしまえば、もうそこからさきは親の手の届かぬ世界。朝のあかるいひかりや子どもたちのきらきらした笑顔とは対照的に、そこには言い知れぬ不安がある。バスの姿が見えなくなるまで立ちつくす母。「遠くへ」は実際の距離であるとともに、心理的な距離でもあるのだろう。

 

この空の断片切りとりそれだけで初夏とあてうる人と会ひたし

/伊與田裕子「塔」2016年11月号 

いま自分が心からうつくしいと感じるこの初夏の空を、同じ感覚で感じる人。そんな人がいるならば、もしいるならば会いたいけれど...。

河野裕子さんの〈月光が匂ふといへばわかる人〉をふと思い出す。