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欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

塔7月号月集より

一首鑑賞

山桜の遠き乳色そこに行くことのできぬを去年も思いき(去年:こぞ)
見たような、何も見なかった気もしつつ今年の桜過ぎてゆきたり
吉川宏志「塔」2016年7月号 

忙しい日々のあわいに思いをはせる遠き山桜。去年も見に行きたいと思いつつ行けなかった、そして今年も。「今年も思いき」ではなく「去年も思いき」ということで今のやるせない思いがよりつよくせつなく伝わってくる。
日々のあわいに何気なく目にしつつ、桜の開花時期はあっという間に終わってしまう。果たして自分は今年桜を見たといえるのだろうか。はかなく、まぼろしのようにも思える今年の桜。

 

どこまでが桜どこまでが日暮れだろう 眼は今日もふたつしかなく
/前田康子「塔」2016年7月号 

日暮れにみる桜はこの世のものとは思えない妖艶さをまとう。そんな桜を目の前にすると人間の存在が圧倒的にちいさなものに思えてくるほどに。「どこまでが桜どこまでが夕暮れだろう」という上句はそんな桜独特の雰囲気をとらえて印象的。そしてひとはふたつしかない眼に桜を焼きつけるのだ。
 

揺れながらささめきながらこころとはときに桜を憎むいれもの
/江戸雪「塔」2016年7月号

桜とはどうしてこんなにも日本人の心をかき乱すのだろう。その開花を待ち焦がれ、満開を迎えれば心震わせ、散りはじめればどうしようもなく胸苦しい。そんな気持ちにさせる桜をときに憎いとさえ思う。そうして桜がいよいよ散ってしまうとさみしく思うと同時に、やっと心の平穏を取り戻せると安堵することもまた事実かもしれない。