欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。〈西窓の欅の右へと日没の場所の移りて春が近づく〉

大森静佳歌集『てのひらを燃やす』より

触れることは届くことではないのだがてのひらに蛾を移して遊ぶ
/大森静佳『てのひらを燃やす』 

触れること、それはすなわち届くことではない。たとえ誰かに(あるいはなにかに)触れたとしてもそのものの心に、深部に届いたことにはならない。理解したことにはならない。てのひらに蛾を移して遊びながら、蛾をみつめながら作者はそんなことを思う。
そこには人(あるいはもの)の他者性に対する謙虚さ、真摯さ、またそれと同時に人と人(あるいはもの)とが完全に分かりあうことはけしてないのだということに対する作者の根元的なさびしさが痛々しくただよっている。
蛾というモチーフもいい。蝶ではなく蛾。蛾のどくどくしさをてのひらにのせるという行為をとおして、触れるだけで届くことかなわぬことのせつなさを思う作者の心の澱みがひりひりと伝わってくる。
 
またこんな歌もある。 

こころなどではふれられぬよう赤蜻蛉は翅を手紙のごとく畳めり
平泳ぎするとき胸にひらく火の、それはあなたに届かせぬ火の  

このふたつにおいても触れることと届くことのへだたりを思う。
作者には他者を希求する心がある一方で、みずからの深部はたやすく他者に触れられるものではないし、触れられたりはしない、という思いが色濃くあるように思う。それは痛みであると同時に、作者の矜持でもあると思うのである。