澤村斉美歌集『gally(ガレー)』より
光つてゐたあれは川ではなく心だと下流の川が教へてくれる
/澤村斉美『 gally(ガレー)』
光ってみえていたのは作者のいる場所よりもずっと上流のほうであろうか。そこから川はこんこんと流れてくる。そして作者の目の前の川面はもっとくすんだ色をしていたのであろう。けれどくすんだ色のそれこそが川。とおくに眩しくみえていたものは、眩しんでみていたみずからの心そのものなのだという。
新聞の校閲記者である作者には見ようとする心がなければ見落としてそのまま通り過ぎてしまうかもしれない、そういうものへの繊細な心寄せがある。この一首にもそんな作者の澄んだ感覚が生きている。
川を見てゐた手だらうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり
電車の窓にうっすらと残された手の跡。その手の跡に、もうそこにはいない、けれどたしかにそこにいた誰かを思う作者のまなざしがある。
「川を見てゐた手」はどこかさみしげな雰囲気である。はしる電車の窓から実際に川がみえるのはそれほど長い時間ではないだろう。けれど川をみつめる視線にまるで時が止まったかのようなしずけさが漂う一首である。