欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。

高木佳子歌集『片翅の蝶』

『片翅の蝶』は潮音所属の高木佳子さんの第一歌集。

てのひらの砂をこぼして笑ふ子が砂より軽くわれを侮る
若からぬわれは子どもの笹舟に託す思ひをひそかに選ぶ
わが知らぬ世界に立てる少年に追ひつくために日傘を閉ぢむ
幼子はぬれやすき頬既に持ついのち逸るを抑ふるために(逸:はし)
子には子の生あるものを競はむとする母われが目に見えぬ枷 

子育てをめぐる歌より。
一首目、鋭く乾いたまなざしにどきりとする歌である。
二首目、生きてきてさまざまな機微に触れてきた作者は、わが子には同じ過ちはさせないよう導きたいと思う。それゆえに先回りしてわが子の願いや夢につい口を出してしまう。一方で、作者のなかにはそんな自分を冷静に眺めているもうひとりの自分がいる。
三首目、外からはたやすく覗くことのできないようなうちなる世界をもつようになった少年。そんなわが子になんとか届きたい、心近づけたいと願う母。その思いが日傘を閉じさせるのだ。心象ともとれる日傘が心に残る。
四首目、含蓄に富む歌である。
五首目、作者の根底にはいつも、子がいずれ離れていってしまうというおそれにも似た感情がある。そしてその感情を理性でなだめようとする。子には子の人生がある、みずからの思いや保身のために水をさしてはいけないのだときっと繰り返し自分に言い聞かせるのだろう。
 

硝子店の硝子はわれを映しつつわれを知らねばなにも軋まぬ
子どもらにからかはれつつ幾たびも海見るために乗る観覧車
カレンダーに約束なくてさみどりの羽虫とまれり印のやうに
今すぐに愛を欲しがる創世のカインにてありきわが少女期は
一瞬のわれを見いだす人なくて輪郭のなき日常がある

作者自身を詠んだ歌より。
一首目、通りがかりの硝子店であろうか。店の硝子は自分の姿を映す。映すけれどもただ映すだけである。そこには、わたしの心奥を知る人などいないのだという悲哀と、たやすく人にわからせたりしないという矜持が見えかくれする。
二首目、誰になんといわれようと何度でも観覧車に乗る、そして海を見るのだ、という意志を感じさせる。歌集のなかには鳥、なかでも鴎がたびたび登場する。現実のあらゆる縛りから心を解き放ちたいという思いがどんなときも脈々と息づいている。
三首目、子育てをしていると自分のなかに母としての部分ばかりが大きな割合を占めるようになる。用事も子どもをめぐることばかり、自分の予定などなかなか入れられない、入れる気にならないものである。だがそんな自分にふとさみしさを覚えることがあるのだ。口に出してはいわないけれど。
四首目、「今すぐに愛を欲しがる創世のカイン」の喩が魅力的。
五首目、夫も子どももわたしの今この一瞬一瞬を知りはしないだろう。知ろうとすることもないだろう。ただ淡々と日々は過ぎてゆくだけである。「輪郭のなき日常」にそんな諦念にも似た孤独感がみえるようである。
 
最後に一番好きな歌を。

てのひらを子と見せあへばわれは疵 子は雪虫を握りてをりぬ