欅のみえる家から

中田明子(なかた あきこ)のブログ。心に響く短歌の備忘録。塔短歌会。

一首鑑賞

〈一つの花の名前〉

ゆみづのやうに言葉をつかいそれでゐて一つの花の名前がいへない/藪内亮輔「心酔していないなら海を見るな」『率』10号 人は言葉を用いてみずからの感情を伝えることができる。それでも、それにもかかわらず、言葉の力というものは有限で、その限界に直面し…

〈膝に咲く〉

会いに行こうと思ったことはあるけれどそのたび膝に芙蓉が咲いて /佐々木朔「夏の日記」『一月一日』vol.3 会いに行こうと思わないわけではなく会いに行こうと思ったことはある。一度ならず何度も。けれどそのたびに膝に芙蓉が咲くのだという。芙蓉とはちょ…

〈眼窩〉

街は今日なにをかなしむ眼球なき眼窩のやうな窓々を開き /稲葉京子『ガラスの檻』 〈われを包むガラス如き隔絶よこのさびしさに衰へゆかむ〉にみるように、この歌集には作者の生きて負う深いかなしみが一貫して流れている。それは〈まことうすき折ふしを織…

〈白木蓮〉

両岸をつなぎとめいる橋渡りそのどちらにも白木蓮が散る(白木蓮:はくれん) /永田紅『日輪』 これは作者が大学受験を終え浪人生活をはじめた頃の歌である。まず目をひくのは、橋とは両岸をつなぎとめているものである、という把握である。歌集には〈対岸…

〈ためらい〉

門をたたけ‥‥‥しかし私ははるかなるためらいののち落葉を乱す/永田紅『日輪』 これは「骨が好き」という題の一連におかれる相聞歌である。「門を叩け、さらば開かれん」というマタイの福音書の一節を思わせるこの初句に、作者はみずからを鼓舞する。恋を一…

〈野の花〉

オフェーリアながれ、アネモネ手を離れ水辺のような部屋を歩みぬ野の花を束ねいたりし手のちからゆるみてもなお言葉はのこる/永田紅『北部キャンパスの日々』 『北部キャンパスの日々』は日付のある歌として『歌壇』に一年間連載された作品がまとめられた歌…

大森静佳歌集『てのひらを燃やす』より

触れることは届くことではないのだがてのひらに蛾を移して遊ぶ/大森静佳『てのひらを燃やす』 触れること、それはすなわち届くことではない。たとえ誰かに(あるいはなにかに)触れたとしてもそのものの心に、深部に届いたことにはならない。理解したことに…

〈水平線〉

ほんとうは存在しないものとして水平線ははっきりみえる/池田行謙『たどりつけない地平線』 〈追いかけてもたどり着けない地平線きみから好きと告げられたくて〉歌集のタイトルにもなっているこの歌の地平線はきみを想う気持ちのあてどなさと重なってゆくイ…

〈バス〉

生きいそぐことからすこし外れてく気がしてバスの中ほどに立つ/坂井ユリ「梢、また表情を変えない冬」『京大短歌』22号 生きいそぐ、とはかならずしもいい意味でつかわれる言葉ではないが、この上句には生きいそぐことから外れていくことへの不安感、焦燥感…

〈手紙〉

読みかけの手紙のように置いてある脱がれたままの形にシャツは/安田茜「twig 」『京大短歌』22号 場面としては夕方あるいは夜、恋人が自分の部屋にやってきて、いかにも無防備にシャツを脱ぎ捨てているのだろう。そのシャツを作者は「読みかけの手紙のよう…

〈声〉

ユトレヒト、ときみが言う声わが裡の焚き火の穂先すこし揺らして /大森静佳「金色の泥」『京大短歌』22号 ユトレヒト、という異国情緒あるうつくしい名詞にまず引きこまれる。ユトレヒトとは中世の街並みと運河のうつくしいオランダの都市である。ユトレヒ…

澤村斉美歌集『gally(ガレー)』より

光つてゐたあれは川ではなく心だと下流の川が教へてくれる/澤村斉美『 gally(ガレー)』 光ってみえていたのは作者のいる場所よりもずっと上流のほうであろうか。そこから川はこんこんと流れてくる。そして作者の目の前の川面はもっとくすんだ色をしていた…

〈目守る〉

月明にひとが透けゆくくるしみを目守らば朝まなこ炎えなむ(朝:あした・炎:も)/水原紫苑『びあんか』 水原紫苑さんの歌は端正で格調高くときに難解だ。けれど時空をも越えてしまうようなスケールの大きい世界観がそこにはある。わからないながらも惹かれ…

〈風のかたち〉

ああそうだルドンの花だ十三のわたしが見ていた風のかたちは/久野はすみ『シネマ・ルナティック』 この歌にはじめて出会ったときの衝撃は今もわすれられない。どこか懐かしく、やさしく、五感のすべてに触れてくるような、そんな風がわたしを吹き抜けたのだ…

〈傘〉

いつも傘に雨はあふれて正しいといふ言葉の中のかなしみを遣る/河野美砂子『ゼクエンツ』 〈正しさ〉って何だろうとよく思う。それは一見絶対的なもののようにも思えるけれど、本当の〈正しさ〉とは人それぞれの中にあるものだろうと思う。他人の〈正しさ〉…

〈椅子〉

一脚の椅子半ばまで埋もれて今日砂原は切なき凶器/三井修『砂の詩学』 この歌は作者がペルシャ湾に浮かぶ島国バハレーンに五年間在住していたときのものである。作者の生活は砂漠、すなわち砂とともにある。まったく異なる風土に生まれ育ち生きてきた作者が…

〈若き日〉

疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより /大辻隆弘『水廊』 〈冬の日のみぎはに立てば too late,It's too late とささやく波は〉という歌に惹かれて『水廊』を手に取った。繊細でうつくしく叙情あふれる歌が並ぶそのなかで、掲載歌がいか…

加藤治郎歌集『噴水塔』より

洋梨を抱えて何処をあるいてる さきにめざめたほうがさみしい/加藤治郎『噴水塔』 洋梨の独特なフォルム、その独特な存在感が孤独を想起させる。恋人はまだ夢の中にいるのだろうか。作者はとなりでさきに目覚めたのだろうか。まだ夜が明ける前の時間のよう…

〈垂直〉

蝶が来て花に双翅たたみたり垂直は水平よりもさびしい /三井修『海図』 垂直は水平よりもさびしい。感覚的かつ観念的な把握ではあるのだが、なぜだかわかる気がする。わかる気がしながらもそれを言葉で説明するのはなかなか難しい。ふと浮かんできたひとつ…

〈影〉

狂ふとは狂ふおのれを知らぬこと 白壁に吾が影の伸びゆく/楠誓英『青昏抄』 どきりとする歌である。歌集には繰り返し繰り返し影とひかりがうたわれる。震災で大切な家族を失った心の傷、その翳りがいつも見え隠れしている。そんななかにこの歌はある。心の…

飯田綾乃「微笑みに似る」より

そこだけが雪原の夢 プロジェクタの前にあかるく埃は舞つて/飯田彩乃 第27回歌壇賞受賞作「微笑みに似る」 誰でも一度は目にしたことのある光景だろう。プロジェクタを点灯させるとひかりに埃が浮かびあがり、なんともいえない幻想的な感じがするのだが、そ…

藪内亮輔「花と雨」より

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく/藪内亮輔 第58回角川短歌賞受賞作「花と雨」 言われてみればたしかにひとは傘の先を下に向けて、それと同時にみずからもすこしうつむいて傘をひらく。上句にはひとが傘をさす一瞬の動作への、とても…

〈こゑ〉

こゑはその喉ふるはする息の音みつみつとわが冬を湿らす/横山未来子『水をひらく手』 その声の持ち主は心寄せる人だろう。声はその人の息、その人の命そのもの。声の温もりが、そしてその人の存在そのものが、まるで雪に息を吹きかければとけて滴になるよう…

〈指ししめす〉

球根をうめたる場所を指ししめすやうにはじめてこころ伝つ/横山未来子『樹下のひとりの眠りのために』 歌集を読んでまず目をひくのは比喩をつかう歌の多さとその美しさだ。この歌もそのうちのひとつ。これは心寄せる人にはじめてその想いを伝える場面であろ…

千種創一歌集『砂丘律』より

悲しみの後に、かなしい、という発話 知らない町の川が映った/千種創一『砂丘律』 知らない町の川を映すのはテレビか映画か。言葉は感情を後追いするもの。悲しみという感情を感情として認知し、さらにそれを言葉に置き換えるまでにはタイムラグが生じる。…

江戸雪歌集『昼の夢の終わり』より

うとうとと夜空の窓を見ていた日ひとの身体は縫えるのだと知り/江戸雪『昼の夢の終わり』 あとがきを読むと作者は大きな手術をしたという。歌集には〈この夏は鈍感になろうこの夏がすぎたらひとつ臓器を喪くす〉という歌もある。この歌はその手術を終えたば…